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月刊集中に「報道被害」で双葉病院が志向する再生の前途」が掲載されました

 常套手段が通じない。初手の質問への答えを聞き、痛感した。
 「振り返ってどうのこうのという立場じゃなくて。現在、そのまま進行していることです。過去を振り返って感想を述べるところまで精査をしておりません。そういう状況でもないもんですから」
 当時を振り返っていかがですか──そんな凡百の問い掛けが通じるはずもなかった。目の前にいるのは.誤報の「被害者」。双葉病院(福島・大熊町)院長・鈴木市郎氏が座っている。表情そのものは穏やかだが、瞳がたたえる深い色合いは経験の苛烈さを雄弁に物語っていた。

福島県庁からは連絡なし
誤報の発生は、2011年3月18日付朝刊各紙。〈福島・双葉病院/患者だけ残される〉〈患者搬送に付き添わず〉〈高齢者/病院放置か〉といった見出しが躍った。東日本大震災から1週間後の出来事である。 情報源はすべて3月17日午後4時8分に行われた福島県災害対策本部救援班による記者発表。本誌が入手した〈県立いわき光洋高等学校(双葉病院)について〉と題するA4判の文書には〈3月14日未明〉として次のような文言が並んでいる。
 〈官邸危機管理センターからの電話/原発が危ないので病院等に残っている人を明け方までに避難させること。/非難しない場合には、こちらは責任をとれない。〉
 〈救出の状況/3月14日から16日にかけて/施設には、結果的に自力で歩くことができない、重篤な患者だけが残された。/ただちに病院・施設に自衛隊が救出に向かった。/双葉病院には、病院関係者は一人も残っていなかったため、患者の状態等は一切分からないままの救出となった。〉
 かつてない大災害の直後、記者クラブ加盟メディアにも混乱があったのだろうか。置き去りの事実はなかった。十分な裏付け取材もなかったせいか、各社はほぼ横並びで誤報を飛ばしてしまったのだ。
 この事件についてはすでに本誌6、8月号掲載の「経営に活かす法律の知恵袋」で取り上げている。筆者は井上清成弁護士だ。井上氏は6月30日、双葉病院の顧問弁護士に就任。
 「どうしてこんなことが起きたのか。その原因だけはどれだけ時間がかかっても知りたい」という鈴木氏をはじめ、報道被害を受けた関係者と病院の名誉回復を図るべく、精力的な活動を続けている。
 メジャーメディアが扇情的に横一線で誤った報道をした場合、被害者である医療者・医療機関はいかにして名誉回復を図ればいいのか。双葉病院と井上氏の取り組みはこの問いに新たな答えを準備しつつある。
 ここで3月11日の発災から報道までの経緯を詳細に振り返りたいところだが、あいにく紙幅に余裕がない。近く本誌ウェブサイトに鈴木氏のインタビューを掲載するので、そちらを参照していただきたい。
 いうまでもないが、誤報の事実はすでに福島県も認め、訂正している(ただ、鈴木氏および病院には本稿締切の11年12月19日まで連絡は一切ない)。鈴木氏をはじめ、双葉病院職員は患者の生命を優先し、震災下の混乱の中で最善を尽くそうとした。自らも被災者であるにもかかわらず、だ。この点はいくら強調してもしすぎるということはないだろう。
 冒頭の言葉通り、鈴木氏の被害は現在進行形である。つい最近もこんなことがあった。鈴木氏の言葉だ。
 「12月初旬、患者さんや家族がNHKの番組を見たそうです(編集部注:この番組の狙いは検証。双葉病院置き去り報道を否定する内容)。ところが、3月17~18日のテレビ放送、あるいは新聞で見たのか定かではないんですけど、その中で『双葉病院は逃げた』といわれていましたので。それが頭から離れないんですね。離れない頭を持ちながら、NHKを見てるんですよ。普段であれば、これは間違いだったな、誤報だと分かるはずでしょう。ところが、NHKを見ていながら、『結局、院長がそんな置き去りするからこんな状態になってるんだ』と。『患者さんの後始末について病院で一生懸命やってもらわないと困る』ってことなんですよ。それは何かと聞いたら、『年金とかそういうことも含めて院長が悪かったんだから、当然やってやれ』と。うちの職員は『そうじゃありません。かくかくしかじかです』と。そこで初めて『ああ、そうなんですか。初めて分かりました』という。田舎ですから最初の衝撃的なことが頭に入っちゃうと、訂正の内容でテレビでやっていただいても、それを見ながら、加害者の方に入れられているというのが現状です」
 双葉病院は今後どうなるのか。
 「患者さんや家族から手紙が来るんです。『いつやるんだ』って。土地の件とかいろいろある。双葉に戻れるのか否か。戻れた場合は再興しますが、働き手がいなくなる可能性がある。病院が再開したとしても、職員が近くに住むかどうか。どうも双葉郡はエネルギーパークにして、中間処理施設──といっても実態は最終処理施設ですが──ができるという話もある。そうなれば、戻れません。じゃあ、どこにするか。まったく何も決まっていません。いつということもいえません。なるべく早く再建したいとは思っているんですが。患者さんはいるわけですから。看護師をそろえるのが難しいんじゃないか。みんな被災してばらばらに避難していますから」(同前)
 政府の復旧・復興策はどうか。
 「どうも建設的じゃないんです、考え方が。そういう立派な質問を受けても、まず答えていいのかどうか。それよりも、双葉に戻ってどうやるかという問題じゃないか。表面的にそういう話をしたとしても、実際将来どう動くんだといわれると、分からないんです。どうしていいか。希望だとか、要望だとか、そういうものをいうには周りの状況を見ておく必要がある。それができていません。報道被害の問題を解決に向かわせることの方が先です」(同前)

「単純に名誉回復を図る」戦略
そろそろ名誉回復・原因究明に向けた道程に目を転じてみよう。あえて箇条書き風にまとめてみる。
  ① 福島県、同警察本部、自衛隊などに事情を聞き、裏付けを進める
  ② メディアに対し、①を基に「訂正」を求める
  ③ ②に応じない場合、ほかの手段を講じる
 順を追って中身を詳しく見ていく。井上氏は3月14日、15日の自衛隊の救出の在り方に注目している。
 現地災害対策本部長が住民を見捨てて逃げたのか──悠揚ならざる問題をめぐっては9月、国会でも一悶着あった。地元選出の森まさこ・自民党参議院議員が池田元久・経済産業副大臣(当時)を糾弾。池田氏は森氏の懲戒動議を要請している。うやむやに決着したが、井上氏はこの動きにも関心を持っている。
 「池田氏は福島県原子力災害対策センター(大熊町)が撤退する前に『自分で調べろ』といっています。郡山からどの部隊が来て、誰が見つけたのか。このとき、連絡が交錯している。責任者である池田氏とは連絡を取り合っています」(井上氏)
 井上氏はさらに福島県警にも接触。12月上旬、口頭で話を聞いている。
 「どういう人たちがどういう組み合わせで入っていったのか。そこを明らかにできれば、一通り目に見える話として完結できる」(同前)
 ここまで来れば、あとは県内外のメディアがどう妥協してくるか。ここが一つの勝負どころだろう。
 すでに10月29日、11月5日には東京都内でシンポジウムを開催。会場には医療者やメディア関係者が集まった。これも世論形成への一石。
 「全国紙や通信社、放送局が軌道修正をするのかどうか。確認が必要です。その上で患者や遺族に説明をしなければならない」(同前)
 応じない場合は、長期の調停も視野に入ってくる。弁護団の念頭にあるのはあくまでも双葉病院の名誉回復。危険度の高い方策は避ける方針。病院に責任がないとはいえ、21人の患者が亡くなっている。遺族側の今後の対応は未知数である。
 「前のめりに突っ込んでいくのはいい。ただ、その場合、自衛隊や警察、福島県庁はすべて保身に回ります。双葉病院だけが孤立し、訴えられたり、連座したりするリスクを負わなければならない」(法曹関係者)
 医療の周辺ではちょっとしたことで物事が思わぬ方向に動く。リスク管理には相当な慎重さが求められる。
 「調停では甘い」という見方もなくはない。「双葉病院だけの問題ではない」と憤る向きもあろう。
 だが、射程をいたずらに拡散させるのは得策ではない。事は、広く国民一般を相手に「患者を見捨てる医療機関、医師がいる」との刷り込みがなされた報道が発端。これだけでも十分に大きな問題だ。広げる風呂敷はなるべく小さくていい。
 ただ、起こってしまった以上、放っておくわけにはいかない。
 「医師や医療機関はそんなことをしない。このメッセージを明確に打ち出す必要があります」(井上氏)
 大事なのは、この過程で人を攻撃しないことだ。鈴木氏をはじめ関係者も当初は名誉棄損を検討したが、現在ではその方向は取らないことで弁護側との意思統一が図られている。
 解決が長引くと、当事者もぐらつくことがある。どこかすっきりしない。何か気分がすっとするような解決に気持ちが傾くことがある。関係者の思惑はそれぞれに微妙な違いがある。それでもよほどひどいことが起こらない限り、名誉棄損の類いには打って出ない。「刺激」に向かいがちな関係者を押さえるのは、もっぱら井上氏の役回りである。

「事件の風化」は恐れない
事件が「風化」してしまう恐れはないのか。鈴木氏も井上氏もこの点はまったく意に介していない。井上氏は「風化してもいい」と断言する。
 「報道価値が下がっていようが、あるときを機に立て続けに報じられようが構わない」(同前)
 井上氏が目指す名誉回復にはメディアの習性とは異なる力学が働く。
 「あるとき、報道が出る。間違っていたのなら、分かった時点で自ら『間違っていた』といってくれればいいんです。これで本当の意味での原状回復ができるとは思えない。そこは諦めるしかありません。ただ、エビデンスは残ります」(同前)
 メディアの中でも特に地元メディアは重要。誤報に加担した福島県域の地方紙・ローカル局にはローラー作戦で働き掛けている。福島民友新聞とテレビユー福島は「方向転換報道」に応じた。それを見て他社も大なり小なりの動きを見せている。
 最終目標は大手紙1紙に絞っている。そこを落とせるかどうか。井上氏のそろばんは「勝算あり」と弾いている。自信満々にも見える。
 「だらだらといく」戦法の向こうに、どんな地平があるのか。成果は着々と上がりながらも、いつまで続くかは井上氏にも分からない。常套ではない長期戦に本誌も伴走する。
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共同通信社 から 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」が配信されました

介護なく避難230キロ 検査優先、死者が拡大 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」(上)

 最近まで玄関前にあった無数の介護ベッドや車いすが、震災と原発事故発生当時の混乱を物語っていた。福島県大熊町にある私立の精神科病院「双葉病院」。3月中に計50人のお年寄りが次々に命を落としたのはなぜか。弱者にしわ寄せがいった災害避難の構図をひもとく。(敬称略)

   ×   × 

 体が宙に浮くような揺れで院内は真っ暗になった。水も出なくなった。約400メートル離れた系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」を加え、寝たきりや認知症の患者を中心にお年寄りばかりが当時438人。職員の頭の中には約4・5キロ先の東京電力福島第1原発の存在など消えていた。

 看病で夜を明かした院長の鈴木市郎(すずき・いちろう)(77)らは3月12日午前6時ごろ、ただならぬ気配を感じた。防災無線による避難指示。昼ごろ、町手配の観光バス5台が病院に到着した。

 自力歩行が可能な患者209人、看護師や介護士ら60人を乗せた5台は同県三春町の避難所に1泊し、いわき市にある系列の病院へ。医師の杉山健志(すぎやま・たけし)(49)も病院の車で行動を共にした。

 2施設にお年寄りはまだ229人。音信が途絶え、十数人いた職員は混乱でわずか数人に。鈴木は町をさまよい、自衛隊や消防を見つけては「救助を」とすがった。

 県が初めて自衛隊に患者らの救援を要請したのは13日午後1時半ごろ。輸送車両の確保は容易に進まず、到着は翌14日午前6時半ごろになった。がんなどの症状を悪化させた患者3人の救命には間に合わなかった。

 隊員運転のバスなどが1台来ては、また1台。「残る全員を搬出できると思った」と鈴木。院内で送り出している間に、計9台の車両は双葉病院の34人、ドーヴィル双葉に残った98人全員を乗せていつの間にか消えていた。患者94人が残った。

 点滴を施されず、医師らの付き添いもないまま、9台はいわき市方面と反対の南相馬市にある相双保健福祉事務所へ向かった。県の依頼だった。放射性物質の付着状況を調べるスクリーニングに固執していた。

 到着したバスの中で約1時間を要したが、全員が除染を免れた。「寝たきりで屋内にずっといた人には必要ないのではないか。スクリーニングがなければ、他の避難ルートもあり得た」。事務所の副所長で医師の笹原賢司(ささはら・けんじ)(46)は今も疑問をぬぐえない。

 南相馬市をたち、福島市などを経て「100人を超す患者を収容できる避難所はそこしかない」(県幹部)と、いわき市の高校の体育館に到着したのは午後8時半。救助され10時間以上、計約230キロの行程だった。

 合流した杉山は、車内の異様な光景が今も頭から離れない。充満する死臭や便の臭い。死後硬直が始まった人もいた。

 車内で3人が、体育館で翌15日朝までに11人が衰弱するなどして死亡。県立医大病院(福島市)などに転院後も、その数は膨らんだ。


「置き去り」の烙印 峠で待った自衛隊到着 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」(下)

 「患者だけ残される 双葉病院」「大熊の病院、一時置き去り」。3月18~19日の新聞各紙で見出しが躍った。福島県が同17日に「救出時に病院関係者がいなかった」と発表したことを受けての報道。院長の鈴木市郎(すずき・いちろう)(77)らには「患者を見捨てた病院」との烙印(らくいん)が押された。

 救援第2陣の9台が出発した14日午後、双葉病院に残っていた患者は94人。鈴木ら病院関係者4人は、駆けつけた双葉署の警察官数人とともに次の救助を待った。

 「院長、車に乗れ。緊急避難だ」。14日午後10時ごろ、爆発した福島第1原発1、3号機に続いて「2号機も危ない」との情報を無線で得た警察官が、鈴木ら病院関係者を半ば強引に警察車両に押し込んだ。原発から約20キロ離れた割山(わりやま)峠(同県川内村)まで車を走らせた。

 鈴木は「すぐ戻れると思い病院を離れることに抵抗はなかった」。警察官の無線に自衛隊が患者の救助に向かうとの連絡が入る。峠で自衛隊と落ち合って病院に一緒に向かうことが決まった。

 だが自衛隊は姿を見せなかった。峠には寄らず直接病院に。15日午前9時ごろ到着、患者の搬送を始めた。この時、鈴木らが病院にいなかったことが「患者置き去り」という「誤解」を招いた。

 陸上自衛隊東北方面総監部は「隊には割山峠で合流する認識はなかった」。県、県警、自衛隊の間の情報の行き違い。当時、現場の警察官の情報は県警の警備本部を通じて、避難の「司令塔」を務める県災害対策本部の救援班に伝わることになっていた。

 県警と自衛隊との間の意思疎通は県を通じて行われ、県警と自衛隊が直接連絡を取り合うことができなかった。

 3月中に50人が亡くなった双葉病院の悲劇は、災害が起きた際、医療機関から全ての患者を避難させることがいかに困難かを示す結果となった。

 原発のすぐ近くにありながら全患者を避難させる準備ができていなかった病院。一刻を争う事態にスクリーニングを指示、県警や自衛隊と十分な連携が取れなかった県。患者が残っていることを把握しながら救助が遅れた自衛隊。それぞれが限界を超えた事態に直面し、十分な役割を果たせなかった。

 県幹部は当時を振り返り「病院丸ごと避難させる想定はなかった。どんな時も病院と連絡が取れる態勢が必要」と話す。だが、県としてこの問題を検証する動きはない。(敬称略)
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