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3月28日参議院東日本大震災復興特別委員会で「双葉病院置き去り事件」と自衛隊員による車の乗り逃げについて質疑応答がありました

本日の参議院東日本大震災復興特別委員会で自民党の森まさ子議員が質問の中で「双葉病院置き去り事件」について質問しました。
3月14日、3号機の水素爆発のあと「オフサイトセンターに行く」と言ってドーヴィル双葉の職員の車を借りて出かけてそのまま病院に戻って来なかった自衛隊員に関する内容でした。その自衛隊員(ヒウラ三尉)がオフサイトセンターに残した手書きのメモ(張り紙)を示し、政府の正式発表ではオフサイトセンターの撤退は15日午前11時過ぎとなっているが、なぜ14日の午前にオフサイトセンターに行ったヒウラ三尉が張り紙をして行かなければならなかったのか?(オフサイトセンターに誰もいなかったのか?)、その後院長らは自衛隊(警察官の誤り)に危険からだと避難させられそれを「置き去り」と報道されて大変な被害を被っているが、なぜこの隊員が帰ってこなかったのか理由を説明して欲しいと質問がありました。
これに対し、渡辺周防衛副大臣が自らも患者が置き去りに去れたという報道を鵜呑みにしてテレビで発言し、鈴木院長に双葉病院(いわき開成病院の誤り)で会って謝罪したこと、自衛隊員が双葉病院に行ったとき間違いなく院長ら職員は居たこと、オフサイトセンターに行ったヒウラ三尉は第四陣(3月15日ないし16日)の救出に加わったこと、車を持ち逃げしたと思われたことは大変遺憾であること、さらに求めがあれば当時の関係者に聞き取りをして真実の究明に努めたいと答えました。

質疑の様子はYoutubeの「03.28 参議院東日本大震災復興特別委員会 森まさこ議員(自民)」参議院インターネット審議中継で見ることができます(委員会の32分から39分にかけて行われています)。

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フライデー3月20日号「双葉病院(福島・大熊町)の奮闘を 『逃亡犯』に変えた新聞・テレビ」

フライデー3月20日号に「原発事故直後、『患者を捨てて逃げた』と報じられた院長たち。誤報道はなぜ起きたのか 双葉病院(福島・大熊町)の奮闘を 『逃亡犯』に変えた新聞・テレビ」が掲載されました。
同じ内容の記事を「現代ビジネス」で読むことができます。

(下の記事をクリックすると、大きな画像で記事を読むことができます)

東京保険医新聞3月15日号

東京保険医協会の「東京保険医新聞」3月15日号」に鈴木理事長のインタビュー記事が掲載されました。

救出遅れ 患者犠牲に
――福島県大熊町 双葉病院 鈴木 市郎 院長に聞く



 双葉病院(福島県大熊町)は福島県浜通では最大規模の精神科専門病院で、病床数は350床。地域の多数の精神患者に加え認知症患者も受け入れ、約4割が高齢者で、常に満床状態だった。
 爆発事故を起こした福島第一原発から、わずか4・5kmに位置する同病院。患者の救出は、最優先で行われなければならないはずだ。ところが、その救出は遅れに遅れ、75歳以上の高齢患者21人が避難の最中、命を落とした。病院からのSOSはなぜ届かなかったのか、救出活動の何が問題だったのか、多くの疑問と割り切れない思いが残る。
 特集「3・11から1年」。広報部は、双葉病院・鈴木市郎院長に話を聞いた(聞き手/岩田俊・広報部員)。
◆ ◆ ◆
 「3月11日、電気、ガス、水道、通信、すべてが遮断されました。それまでは雷で停電になったとしてもせいぜい1、2時間。長時間の停電は経験がありません。11日の夜を乗り切れば何とかなるだろうと、とりあえずろうそくと電灯だけは用意しました。でも、刻々と情勢が変化していることには気が付きませんでした」―震災1日目について鈴木院長は、このように語る。340人の患者たちは、ライフラインが寸断されるなか、不安な一夜を過ごした。
 2日目の3月12日午前5時44分には10キロ圏内に避難指示が出され、早朝から職員が大熊町に入院患者の救助依頼をしていたが、12時頃、やっと大型バス5台が到着する。
 「入院患者209人がバスに乗り、約130人が残りました。患者の薬、衣料品、食料等がありますから、病院の車も併走して全部出て行きました。
 残った患者の一部は口から食事が取れない状態です。病院は暖房も入らない状態でした。一刻も早く、避難させる必要があります。福島や会津には病院がありますが、こちらから全く連絡が取れない状態です。次の救援も来る。そうすれば、すぐ追いつく。そのときは、そう考えていました。
 ところが、その後の救出が来ない。救出を依頼しようと車で役場に行ったら、役場に人がいないんです。
 そして、病院に戻る途中、水素爆発が起こりました。しかし、私自身は車の中にいて聞いていないんです。病院に戻ったら職員が、『院長、今ボンと鳴ったのを知っているか。びびびんと響いた』と―大変なことになったと思いました」
 院長は周囲に助けを求めて回り、自衛隊、警察、消防などに救助を求めたが、3日目13日になっても次の救援は到着しない。同日夜から14日未明にかけて重症患者3人が死亡した。
 そして、14日朝、やっと第2陣が到着する。
 「警察隊が到着すると箱を4つ玄関に置くんです。放射線防護服です。1つの箱に25着、全部で100着。それを患者に着せるという。『死にそうな患者に、こんな圧迫するような服は無理です』と言うと、『命令だからしょうがない』―着せてもらっているうちに、今度は自衛隊が到着し、化学兵器の専門家という人が、そんな必要はないから脱がせてくださいと……」
 こうして重症患者約100人がバスで運ばれたが、移動距離は230キロ、12時間に及んだ。患者はただ座席に寝かされ、座席から落ちたままの人も。こうした状態で3人が死亡。さらに避難先の高校体育館では、医療設備もなく暖房も不十分なまま、11人が死亡した。
◆ ◆ ◆
 原発から5キロ圏内の病院3カ所のうち、双葉病院の救助だけが遅れた。これに対し、いまだに県や町から納得のいく説明はない。
 「なぜうちだけが取り残されたのか。適切な救援が行われていれば、患者は亡くならずに済んだのです。そう思うとやりきれない思いで一杯です」
 一部マスコミは「入院患者をおきざりにした」と誤った報道を行いながら、その訂正をしようともしない。鈴木院長は名誉回復を求め、マスコミ各社に対し訂正の再報道を求めている。マスコミの多くは検証の上での報道に応じつつある。
(『東京保険医新聞』2012年3月15日号掲載・資料省略)

外岡秀俊氏の「3.11複合被災」(岩波新書)

昨年7月から取材をしていただいている元朝日新聞編集局長の外岡秀俊さんの岩波新書「3.11複合被災」が発売されています。双葉病院とドーヴィル双葉については、原発被災の章の中で「双葉病院の悲劇」として書かれています。

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3月12日東京新聞にインタビューが掲載されました

【福島原発事故 その時私は】[3・12]双葉病院長 鈴木 市郎さん

◆置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人

地震で停電になったが、すぐ復旧すると思っていました。原発が危ないと知ったのは翌十二日の早朝。「急いで避難しろ」と大熊町の防災無線の放送があった。町役場に助けを求めるとバスが来て、患者二百九人と全職員が乗り込みました。
 残されたのは患者百二十九人と私一人。職員には「残ってくれ」と言いたかったが、津波で家が流された人もいた。「自分は最後の一人を送るまで残る」と笑って見送った。すぐに後続のバスが来ると思ってました。
 ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。
 近くに系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があって、入所者九十八人と職員二人も取り残された。電話もテレビも使えません。不安でしたが、夜になって自衛隊員が来て「明日には車を手配できる」と言ってくれました。
 一晩ならなんとかなる。でも、停電で真っ暗だから、顔色も分からない。頬に自分の頬を寄せて無事を確認しました。患者のそばを離れられなかった。
 翌日、救助は来ませんでした。車で助けを求めて周辺をさまよっていると、パトカーに出合った。「早く助けてくれ」と頼んだ。また裏切られるかも…と思い、名前や車のナンバーを確認した。
 後で双葉署長が病院に来てくれました。でも、車の手配が難しいからと、「今日の救出は無理」って告げられた。思わず「このままでは百人亡くなる」と怒鳴っていました。
 その夜、衰弱で一人目の患者が亡くなりました。翌朝には二人。このままだと本当に数十人単位で亡くなると思いました。
 十四日朝。突然、自衛隊から救助のバスが来ました。患者三十四人とドーヴィルの入所者九十八人全員が避難した。隊員は「すぐに後続が来る」と言ってくれた。だけど、3号機が爆発。隊員は「(現地対策拠点の)オフサイトセンターに行かなくては」と言っていなくなり、また約束は破られました。
 このバスが避難所のいわき光洋高校に到着したのは夜です。直線で三十キロの距離を二百三十キロ、十時間かけて移動しました。バスの車内で三人、到着後の高校の体育館で十一人が亡くなった。除染のためいったん北上した後、百人を超える患者を収容できる施設を求めて原発を避けるように移動したためだと、後で聞きました。
 結局、全員が避難したのは翌十五日から十六日にかけて。当時、私は警察から「緊急避難だ」と原発から二十キロ離れた割山峠まで連れ出されていた。「2号機が危ない」という情報が福島県警に入っていたそうです。
 救助後、県は私たちが「患者を置き去りにした」と発表した。
 私は1号機の爆発も3号機の爆発も気付きませんでした。とにかく無我夢中だった。
 三十一日までにドーヴィルと合わせて、四百三十六人の高齢者のうち五十人が亡くなりました。原発から五キロ圏には、ほかに双葉厚生病院と大野病院がありますが、両方とも十三日までに避難している。どうしてうちの救助が遅れたか。どうして二百三十キロの移動になったか。
 あの後、弁護士に依頼して調査を始めましたが、いまだに分からない。五十人は救えた命だった。もう一年たちますが、まだ現在進行形なんです。

森功氏の「なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下『双葉病院』恐怖の7日間」発売

昨年7~8月に週刊ポストに「双葉病院の真実」を連載した森功氏の新刊「なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下『双葉病院』恐怖の7日間」(税込み1,575円)が講談社より発売されました。


3月5日「モーニングバード!」で放送されました

2月23日に取材を受けたテレビ朝日の「モーニングバード!」の放送が予定通り3月5日にありました。「
原発4.5km大混乱の中闘った病院」というタイトルでした。
動画がアップロードされていて、こちらで見ることができます(画像クリックでも見れます)。

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民間事故調の調査・検証報告書に「原発周辺地域からの医療機関の緊急避難」が掲載されました

2月28日に公表された日本再建イニシアチブの福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)にm3.com橋本佳子編集長による特別寄稿「原発周辺地域からの医療機関の緊急避難」が掲載されています。原発20km圏内の西病院を除く6病院の避難の経緯と、双葉病院の避難をめぐる「誤報」について17頁にわたって詳細に報告されています。


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