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情報不足 命置き去り 政府事故調 最終報告ー7月24日朝日新聞

7月24日朝日新聞の三面の記事です。

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連携ミス 患者犠牲 県・自衛隊混乱 政府事故調 最終報告で指摘ー7月24日読売新聞

7月24日読売新聞の三面の記事です。政府事故調の最終報告を受けての記事です。

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双葉病院避難問題検証ー7月24日朝日新聞マイタウン福島

 ●県の広報は「不的確」/政府事故調
 双葉病院の患者救出が遅れた問題で、政府事故調は当時の県の広報を「事実に反し、不的確な内容と言わざるを得ない」と批判した。
 県災害対策本部は昨年3月17日、いわき光洋高校に避難した双葉病院の患者が相次いで死亡した問題を説明する際、「双葉病院には病院関係者が一人も残っていなかったため、患者の状態などは一切分からないままの救出となった」とする文書を報道機関に配った。
 実際は原発の危険性が高まり、病院に残っていた鈴木市郎院長(77)と双葉署副署長らが14日夜、川内村の割山峠に一時退避。院長と副署長らはそこで自衛隊と合流予定だったが、自衛隊は病院に直行した。
 事故調は、断片情報の広報で「院長が病院を放棄し、立ち去った印象を与えた」と指摘。現地の状況を把握できなかった災対本部の対応を問題視した。

「責任の所在不明確」政府事故調の最終報告ー7月24日福島民友

 23日、野田佳彦首相に提出された政府の福島第1原発事故調査・検証委員会の最終報告は、原発事故で自宅を追われ、避難生活を送る住民にとって、必ずしも納得できる内容ではなかった。特に、事故が原因で最愛の家族を失った住民の心には、空虚感がこみ上げた。
 大熊町の双葉病院に隣接する介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた祖父母を搬送先で亡くした同町の男性(33)は「(最終報告では)組織の責任は追及したが、最終的に当時の現場責任者などは示さなかった。責任の所在が明確でないことに疑問が残る」と憤りを隠せない。
 原発事故後も双葉病院に残り、患者らを治療しながら、救出を待った鈴木市郎院長も最終報告の内容に無念さをにじませた。
 鈴木院長は県など関係機関に公開質問状を提出し、患者や入所者ら50人の人命が失われた原因を独自に調べてきた。「病院は遺族に説明する義務があるのに、政府事故調の内容では説明できない。病院が求めた再三の救出要請になぜ答えなかったのか、県や大熊町がどのように関わっていたのかを明らかにしてほしい」。今後も原因究明を強く求めると鈴木院長。
 県は依然、この問題を検証していない。保健福祉部の担当者は「自衛隊の話を信じ、病院に確認しなかったと思われる」と推測した。
(2012年7月24日 福島民友ニュース)

政府原発事故調 最終報告 県の「連携不十分」双葉病院の患者ら50人死亡ー7月24日産経新聞

 東京電力福島第1原発事故は、病院からの患者の避難をめぐる課題も浮き彫りにした。政府事故調は患者ら50人が亡くなった双葉病院(福島県大熊町)の例を挙げ、県の災害対策本部内外の連携が不十分だったため「避難や救出が遅れた」と問題点を指摘した。

 原発10キロ圏内の避難指示が出た昨年3月12日早朝、双葉病院と系列の介護施設「ドーヴィル双葉」には患者ら約440人がいた。午後2時ごろ、自力歩行可能な患者らから避難が始まり、院長と寝たきりの患者ら約230人が残った。14~16日に自衛隊が患者を救出したが、寝たきりの患者が中心という情報が県の災対本部で共有されなかったため、容体に適さない車両での長時間搬送といった問題が生じた。院長は14日夜、警察の指示で川内村にいったん退避し、自衛隊との合流のため待機していた。だが、この情報も共有されず、院長が救出に立ち会えなかったため、病院別棟に残された患者らの救出に遅れが出た。また、県が「患者を救出したが病院関係者は一人も残っていなかった」と17日に広報した点について、政府事故調は「病院を放棄した印象を与え、不正確で不適切」と批判した。

双葉病院の患者救出遅れ 事故調、自治体などの連携不足を批判ー7月24日日本経済新聞

 政府事故調は最終報告で、福島第1原発の南西約4キロにある精神科病院「双葉病院」(福島県大熊町)と系列介護老人保健施設にいた患者らの救出が遅れ、避難前後に多数死亡した問題を8ページにわたり詳述した。県や町、警察、自衛隊の連携不足で「不適切といわざるを得ない事態が生じた」と強く批判した。

 県が当初、「患者救出時に病院関係者は1人もいなかった」と発表したことについては、院長は県警に連れ出されて自衛隊と合流しようと峠で待機していただけで「県の発表は事実に反し、不適切」と指摘した。

 報告書によると、昨年3月12日朝、同原発10キロ圏内に避難指示が出たのを受け、大熊町は大型バス5台を病院に派遣。約210人を救助したが、寝たきり患者ら約230人が取り残された。町は避難は完了したと考え、その後の確認を怠った。

 「患者が残っている」と連絡を受け陸上自衛隊が救助を始めたのは2日後の14日午前。その間に計5人が死亡・行方不明に。陸自は128人を 70キロ離れたいわき市の体育館に運んだが、原発を避けて半日かけて移動したうえ、医師の同行もなく、少なくとも8人の死亡が確認された。

 15日には計54人が救出されたが、伊達市の避難所で2人の死亡を確認。陸自は院長と合流できず、別棟にも患者がいると気付かなかった。35人の救出は16日にずれ込み、福島市などの避難所で5人死亡が確認された。

 事故調は、警察無線で連絡を取ることができた県警に、自衛隊が協力を求めるなど、関係機関の連絡体制を確保する必要があったと指摘。「人命救助にあたる者は強い責任感を持って任務に当たるべきだ」と強調した。



 双葉病院は23日「報告書を手掛かりとして病院側でも調査を続け、一日も早く遺族に真相を報告したい」とのコメントを出した。「なぜ病院が取り残され、多くの患者を救えなかったのか、避難の経緯で何が起きたのか、いまだに不明な部分が残されている」とした。

県災対、情報共有せず 双葉病院の救出遅れ要因にー7月24日福島民友

 23日公表された政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会(政府事故調)の最終報告は、原発近くの病院で展開された患者救出の経緯を詳細に検討、県災害対策本部の対応に不備があったとし「原子力災害では、県が前面に出て対応に当たらなければならない」と踏み込んだ。安定ヨウ素剤の配布・服用指示をめぐっては、当時の国や県の対応に疑問を呈し、制度改善の必要性に言及した。
 福島第1原発事故後、双葉病院(大熊町)の入院患者らの救出が遅れ、昨年3月末までに50人が死亡したとされる問題で政府事故調は、県災害対策本部内で救出に関わった各班の間の意思疎通が不十分だったとし、救出遅れの要因として報告書に書き込んだ。
 双葉病院では昨年3月12日に最初の避難が行われ、患者約130人と鈴木市郎院長が残った。14日午前、患者34人が病院の系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」の入所者98人とともに救出された。患者の多くが寝たきり状態だったが、搬送されたのは医療設備のないいわき光洋高(いわき市)だった。到着後、8人の死亡が確認された。
(2012年7月24日 福島民友ニュース)

双葉病院「患者置き去り」誤った報道 政府事故調報告書に詳細ー7月23日中日新聞

「病院近くの峠で自衛隊待っていた」  

 東京電力福島第1原発事故の原因を検証した政府事故調の報告書は、寝たきりの患者多数が死亡した双葉病院(福島県大熊町)の対応を詳細に報告した。

 福島第1原発の南西約4キロの双葉病院では、救助に当たる自衛隊や福島県の連携がうまくいかなかった。最終報告書は、近くの峠で自衛隊を待っていた院長が「患者を置き去りにした」と誤って報じられた経過を書き込んだ。

 双葉病院での救助活動は、事故発生の翌日昼ごろに始まった。しかし、連絡の行き違いや1、3号機の水素爆発で難航し、患者ら約440人の避難が完了したのは発生から6日目だった。

 鈴木市郎院長は、自分では歩けない患者約130人と病院に残っていたが「原子炉が危険な状態だから一時離脱せよ」と地元警察に連れ出された。

 原発から20キロ離れた川内村の峠で自衛隊と合流しようと待ち、警察がその旨を県の災害対策本部に連絡した。

 しかし、対策本部内で情報が共有されず、救出に当たる自衛隊に伝わらなかった。結果的に院長は自衛隊とは合流できなかった。

 医師の同行なしに患者は運ばれ、避難先の体育館には医療設備もなかったため、少なくとも8人が死亡。福島県は「救出時には病院関係者は1人も残っていなかった」と広報した。このことが「置き去り」報道につながってしまった。

「縦割り」情報迷走 福島原発政府事故調最終報告ー7月24日河北新報

◎県の広報、誤解広げる/双葉病院問題

 政府の福島第1原発事故調査・検証委員会が23日公表した最終報告は、双葉病院(福島県大熊町)の患者が原発事故直後の救出過程で多数死亡した問題に触れ、県内部のコミュニケーション不足や関係機関との連携のまずさが被害を広げたと指摘した。病院が「患者を置き去りにした」と事実無根の非難を受けたことについても、「県が不適切な広報をして誤解を与えた」と認定した。
 報告書によると、県災害対策本部は昨年3月13日、病院に鈴木市郎院長と多数の寝たきり患者が残っていることを県警から伝えられたが、情報が共有されず、車の乗り換えを伴う患者の搬送は可能と判断し、患者を民間バスで移動させた。
 一般住民の避難と、入院患者ら災害時要援護者の避難は別々の部署が担当したが、要援護者の担当部署は当事者であることを認識していなかった。
 報告書は、災対本部を平時の部署に基づいて編成した「縦割り」の弊害を指摘。「横断的、機能的な編成とし、全体を統括、調整できる仕組みで相互の意思疎通の強化を図ることが必要」と改善を求めた。
 病院が受けた非難に関しては「県は鈴木院長が病院に残っていたにもかかわらず、患者を置き去りにして逃走した印象を与える不適切な広報をした」と、県の誤った発表による誤解だったと指摘した。
 県保健福祉総務課は「救援が必要との認識は共有されたが、重篤患者が多いとの情報はなかった。電話がつながらず、情報収集さえも困難を極め、結果的に不適切な広報になった」と話した。
 佐藤雄平知事は「住民避難の在り方の提言を受け止め、初動対応に関する県地域防災計画の見直しに反映させたい」との談話を出した。
 鈴木院長は「なぜ病院が(救助から)取り残され、多くの患者を救えなかったのか。残念ながら不明な部分が残されている」とコメントした。

[双葉病院問題] 原発事故翌日の昨年3月12日、双葉病院の入院患者337人のうち209人が第1陣として救出されたが、2、3陣の搬送が14~16日と遅れ、事故から1カ月以内に40人が死亡したほか、隣接する系列の介護施設の高齢者ら10人が亡くなった。福島県は同月17日、「患者搬送の際、病院関係者が一人もいなかった」と広報し、病院は「患者を置き去りにした」とのレッテルを貼られた。病院は福島第1原発から南西約4.5キロに位置する。診療科目は精神科と内科で350床。

◎県「判断材料なかつた」/ヨウ素剤回収

 政府事故調の最終報告は、福島県三春町が原発事故直後に町民に配布したヨウ素剤を回収するよう県が求めたことも問題視した。
 報告によると、町は昨年3月15日、独自の判断でヨウ素剤を町民に配布。県は「国の指示がない」として回収のほか、配布中止を求めた。
 報告は「町の判断が不適切だったとは言えない」と結論付けた。その上で「自治体が独自の判断で住民に服用させられる仕組みが必要」と提言している。
 当時の経緯を知る県地域医療課の担当者は「国に何度も確認したが、『投与は必要ない』との回答だった。県のモニタリングポストは1基しか稼働せず、放射線量や核種など配布、服用の判断材料もなかった。独自判断で服用させ、副作用が起きた場合の責任問題もあった」と振り返った。

患者避難遅れ「連携不足」 福島県災対本部の不備指摘 ー共同通信社 7月24日

 病院からの避難で多くの患者が亡くなったのはなぜか―。政府の福島第1原発事故調査・検証委員会の最終報告は、昨年3月中に計50人が命を落とした双葉病院(福島県大熊町)のケースについて「福島県の災害対策本部内外の連携が十分ではなかったために患者の避難、救出が遅れた」と断じた。病院側は「最終報告は疑問に答えていない」と不満を募らせた。

 原発10キロ圏内の避難指示が出た昨年3月12日早朝、双葉病院と系列の介護施設では、寝たきりを含むお年寄りら約440人が残っていた。自力歩行が可能な患者ら209人と、鈴木市郎(すずき・いちろう)院長を除く病院スタッフは午後2時ごろ大型バスなどで避難を開始。14日には132人が避難した。
 鈴木院長は残った患者とともに救助を待ったが、14日夜「原子炉が危険な状態」との連絡を受けた警察が、鈴木院長を車で隣の川内村に一時避難させた。患者は残ったままとなった。
 鈴木院長らは「救助に向かう自衛隊と合流する」と県警経由で県災対本部に伝えたが、災対本部内で周知されなかったため合流できなかった。翌15日朝、自衛隊が双葉病院に到着した時には、病院関係者の姿はなく、自衛隊が16日までに患者を避難させた。
 県は当時、「14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は1人も残っていなかった」と広報。最終報告は「関係者が病院を放棄したような印象を与える不正確、不適切な内容」と批判した。
 鈴木院長は「なぜすぐに救助が来なかったのか。遺族にしっかりと説明したいが、報告書は疑問にまだ答えていない」と、無念さをにじませた。
 14日の患者搬送では、県が、受け入れ先のいわき市と反対方向にある南相馬市で、放射性物質の付着を調べるスクリーニングの実施を決定。搬送は10時間以上に及び、道中で8人が死亡した。

 政府事故調は「県災害対策本部で入院患者の多くが寝たきりとの情報が共有されず、体力的に問題のある患者は少ないだろうと判断した」と不備を指摘した。

 最終報告は、福島県三春町が独自判断で住民にヨウ素剤を配布したことにも触れ、県が「国の指示がない」と町に回収を指示したことも明らかにした。
 町は従わなかったが、事故調は「町の判断を不適切とは言えない」と結論。町の担当者は「適切だったと判断してくれてありがたい」と評価した。福島県幹部は「副作用を検討する必要もあり、総合的に判断した」と釈明している。

【政府事故調報告】県は真摯に耳を傾けよ (7月24日)福島民報 論説

 政府の東京電力福島第一原発事故調査・検証委員会の最終報告は政府、東電に加え、県の対応も厳しく指摘する内容だった。双葉病院(大熊町)の入院患者の避難が遅れた問題では、「県の災害対策本部内外の連携が不十分だったため、患者の避難、救出が遅れた」と断じた。病院側にとって不満の残る内容だろうが、県は最終報告を真摯[しんし]に受け止め、独自の検証・分析・見直しを進めるべきだ。
 双葉病院の問題は当時、県が「(3月)14日から16日にかけて(入院患者を)救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」と広報した。このため「病院関係者が患者を置き去りにした」と報道され、厳しい非難を浴びる結果になった。
 最終報告は、経緯を詳細に検証し「病院長は警察官と退避して自衛隊の救出部隊を待ったが、県災害対策本部で情報が共有されなかった。自衛隊と合流できず15日の救出に立ち会えなかった」と指摘した。その上で「県は病院関係者らがあたかも自衛隊の救出を待たずに現場から逃走したかのような印象を与える不適切な広報をした」と県の対応を批判した。
 原因として「県地域防災計画では避難担当部署が複数にまたがり、総括班がない」と組織上の問題を指摘し、「どの班も患者を把握する問題意識に欠け、互いに確認しなかった」とした。さらに、搬送途中に患者が死亡したことにも触れ「入院患者の多くが寝たきりとの情報が共有されていなかった」と車両手配の過ちを挙げた。
 県災害対策本部は、職員が互いに情報を共有していれば、病院、警察、自衛隊に的確な指示・連絡調整ができたはずだ。患者救出に向け、懸命な努力をしていた病院関係者に対する誤った情報を流すこともなかった。何のための地域防災計画なのか、県は当事者意識に欠けていたと言われても仕方があるまい。
 また、最終報告は、三春町の安定ヨウ素剤配布、スクリーニングレベルの引き上げ、緊急被ばく医療機関の指定問題など4項目について県の対応に疑問を呈した。
 県は地震、原発などの複合災害への対応を強化するため11月にも地域防災計画を見直す。これまでの縦割り組織の寄せ集めではなく、横断的で、全体的の統括できる仕組みづくりが必要だ。最終報告は「原発災害は県が前面に出て対応しなければならない」と県の役割の重大さを説いている。事故を教訓に県民の安全を第一にした地域防災計画の策定を望む。(佐藤 光俊)

<政府事故調>双葉病院「患者置き去り」は事実と反するー7月23日毎日新聞

 「行政には全体を統括・調整できる仕組みが必要」--。政府事故調は、福島県庁や自衛隊、警察の連携不足で双葉病院(福島県大熊町)の患者の避難が遅れた上、避難先で十分な医療を受けられず多数が死亡した問題を重視し、こう警告した。福島第1原発事故という未曽有の原子力災害から弱者をどう守るのか。報告書は、関係機関に猛省を促した。

 報告書によると、福島第1原発から南西4キロにある双葉病院には約340人の患者が入院していた。昨年3月12日に大熊町が用意したバスで患者209人と鈴木市郎院長を除く職員が先に避難。鈴木院長は残された患者約130人の救助を自衛隊や警察に求めたが、避難を待たずに患者4人が死亡、1人が行方不明になった。

 14日午前、自衛隊が患者34人と隣接する老人保健施設の利用者98人を避難させ、残る患者全員も15日午前9時から16日午前0時半に救出した。避難先の県立いわき光洋高(いわき市)に運ばれた患者も十分な医療を受けられなかった。双葉病院によると、昨年3月末までに患者40人、老健施設利用者10人の計50人が死亡。当時、治療した双葉病院の男性医師は「避難してほっとしたのに運ばれてきた患者が死んでいく。絶望的で、この世の終わりに思えた」と話す。

 同じ20キロ圏内でも12日に避難を終えた病院もあり、報告書は「双葉病院の入院患者の救出が大きく遅れ、搬送先が遠方の高校の体育館とされるなど、不適切と言わざるを得ない事態」と指弾。このような事態が生じた理由は、「避難の担当部署が複数の班にまたがり、県庁内で共有されなかった」と指摘した。

 一方、県は17日午後4時、自衛隊からの情報を基に「14日から16日に患者を救出したが病院関係者は一人もいなかった」と発表。鈴木院長は「患者を置き去りにした」と非難を浴びたが、実際は警察本部から緊急避難の指示を受けた警察官に連れられ、一時的に川内村の割山峠にいただけだった。報告書は「県の発表は事実に反する。14日以降、病院関係者が救出に立ち会わず、放棄して立ち去ったような印象を与える不正確、不適切な内容」と批判した。【神保圭作】

7月15日読売新聞朝刊ー政府事故調の最終報告について

7月15日読売新聞一面で、7月23日発表予定の政府事故調の最終報告の内容がスクープされています。
最終報告の主な4つの指摘項目の中に、「入院患者らの救出が遅れたのは不適切。福島県と自衛隊の連係不足などが原因」があり、具体的には「一方、事故調は避難前後に約40名が死亡した『双葉病院』(福島県双葉郡大熊町)の事例を詳細に調べた。3月14日の搬送で、県災害対策本部は寝たきりの患者の搬送に適さない車両を手配したため、別な車両が必要になった。また県障がい福祉課は独自に患者の受け入れ先を見つけたのに、同本部に連絡しなかったため患者らは200キロ以上もの移動を強いられた。救出に向かった自衛隊は県との連係不足から病院長と合流できず、15日、同病院の別棟にいた患者に気付かず、患者らは16日未明まで取り残された」と指摘しているようです。

先日の国会事故調の報告書とは違い、政府事故調の最終報告では、県災害対策本部と障がい福祉課、県災害対策本部と自衛隊の連係エラーについて踏み込んで指摘しているものと予想されます。

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国会事故調の報告書について

7月5日に国会事故調の報告書が発表されました。報告書の4.3.2章(379〜389頁)「病院の全患者避難」に双葉病院とドーヴィル双葉の避難の経緯が書かれています。5月15日に鈴木理事長がヒアリングを受けた内容に基づいたものと思われます。報告書とは別の参考資料の99〜100頁にも避難の経緯が時系列で書かれています。
今回の報告書では特段新しい内容は見当たりませんが、386頁「b.市町村の果たした役割」の中で「大熊町役場は病院の入院患者の避難よりも早く、12日中に90%以上の町民を避難させ、町役場機能を移転したことについて『バスも向かわせたが、災害対策本部から自衛隊を頼んだので、自衛隊がいけばどうにかなるだろうと思っていた』と話しており、実際に自衛隊が病院に向かったのは14日以降であった」と、大熊町が病院の入院患者とドーヴィル双葉の入所者を残したまま避難したことを明らかにしています。
国会事故調表紙_convert_20120712163602
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