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共同通信社 から 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」が配信されました

介護なく避難230キロ 検査優先、死者が拡大 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」(上)

 最近まで玄関前にあった無数の介護ベッドや車いすが、震災と原発事故発生当時の混乱を物語っていた。福島県大熊町にある私立の精神科病院「双葉病院」。3月中に計50人のお年寄りが次々に命を落としたのはなぜか。弱者にしわ寄せがいった災害避難の構図をひもとく。(敬称略)

   ×   × 

 体が宙に浮くような揺れで院内は真っ暗になった。水も出なくなった。約400メートル離れた系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」を加え、寝たきりや認知症の患者を中心にお年寄りばかりが当時438人。職員の頭の中には約4・5キロ先の東京電力福島第1原発の存在など消えていた。

 看病で夜を明かした院長の鈴木市郎(すずき・いちろう)(77)らは3月12日午前6時ごろ、ただならぬ気配を感じた。防災無線による避難指示。昼ごろ、町手配の観光バス5台が病院に到着した。

 自力歩行が可能な患者209人、看護師や介護士ら60人を乗せた5台は同県三春町の避難所に1泊し、いわき市にある系列の病院へ。医師の杉山健志(すぎやま・たけし)(49)も病院の車で行動を共にした。

 2施設にお年寄りはまだ229人。音信が途絶え、十数人いた職員は混乱でわずか数人に。鈴木は町をさまよい、自衛隊や消防を見つけては「救助を」とすがった。

 県が初めて自衛隊に患者らの救援を要請したのは13日午後1時半ごろ。輸送車両の確保は容易に進まず、到着は翌14日午前6時半ごろになった。がんなどの症状を悪化させた患者3人の救命には間に合わなかった。

 隊員運転のバスなどが1台来ては、また1台。「残る全員を搬出できると思った」と鈴木。院内で送り出している間に、計9台の車両は双葉病院の34人、ドーヴィル双葉に残った98人全員を乗せていつの間にか消えていた。患者94人が残った。

 点滴を施されず、医師らの付き添いもないまま、9台はいわき市方面と反対の南相馬市にある相双保健福祉事務所へ向かった。県の依頼だった。放射性物質の付着状況を調べるスクリーニングに固執していた。

 到着したバスの中で約1時間を要したが、全員が除染を免れた。「寝たきりで屋内にずっといた人には必要ないのではないか。スクリーニングがなければ、他の避難ルートもあり得た」。事務所の副所長で医師の笹原賢司(ささはら・けんじ)(46)は今も疑問をぬぐえない。

 南相馬市をたち、福島市などを経て「100人を超す患者を収容できる避難所はそこしかない」(県幹部)と、いわき市の高校の体育館に到着したのは午後8時半。救助され10時間以上、計約230キロの行程だった。

 合流した杉山は、車内の異様な光景が今も頭から離れない。充満する死臭や便の臭い。死後硬直が始まった人もいた。

 車内で3人が、体育館で翌15日朝までに11人が衰弱するなどして死亡。県立医大病院(福島市)などに転院後も、その数は膨らんだ。


「置き去り」の烙印 峠で待った自衛隊到着 「救助はまだか 福島・双葉病院の悲劇」(下)

 「患者だけ残される 双葉病院」「大熊の病院、一時置き去り」。3月18~19日の新聞各紙で見出しが躍った。福島県が同17日に「救出時に病院関係者がいなかった」と発表したことを受けての報道。院長の鈴木市郎(すずき・いちろう)(77)らには「患者を見捨てた病院」との烙印(らくいん)が押された。

 救援第2陣の9台が出発した14日午後、双葉病院に残っていた患者は94人。鈴木ら病院関係者4人は、駆けつけた双葉署の警察官数人とともに次の救助を待った。

 「院長、車に乗れ。緊急避難だ」。14日午後10時ごろ、爆発した福島第1原発1、3号機に続いて「2号機も危ない」との情報を無線で得た警察官が、鈴木ら病院関係者を半ば強引に警察車両に押し込んだ。原発から約20キロ離れた割山(わりやま)峠(同県川内村)まで車を走らせた。

 鈴木は「すぐ戻れると思い病院を離れることに抵抗はなかった」。警察官の無線に自衛隊が患者の救助に向かうとの連絡が入る。峠で自衛隊と落ち合って病院に一緒に向かうことが決まった。

 だが自衛隊は姿を見せなかった。峠には寄らず直接病院に。15日午前9時ごろ到着、患者の搬送を始めた。この時、鈴木らが病院にいなかったことが「患者置き去り」という「誤解」を招いた。

 陸上自衛隊東北方面総監部は「隊には割山峠で合流する認識はなかった」。県、県警、自衛隊の間の情報の行き違い。当時、現場の警察官の情報は県警の警備本部を通じて、避難の「司令塔」を務める県災害対策本部の救援班に伝わることになっていた。

 県警と自衛隊との間の意思疎通は県を通じて行われ、県警と自衛隊が直接連絡を取り合うことができなかった。

 3月中に50人が亡くなった双葉病院の悲劇は、災害が起きた際、医療機関から全ての患者を避難させることがいかに困難かを示す結果となった。

 原発のすぐ近くにありながら全患者を避難させる準備ができていなかった病院。一刻を争う事態にスクリーニングを指示、県警や自衛隊と十分な連携が取れなかった県。患者が残っていることを把握しながら救助が遅れた自衛隊。それぞれが限界を超えた事態に直面し、十分な役割を果たせなかった。

 県幹部は当時を振り返り「病院丸ごと避難させる想定はなかった。どんな時も病院と連絡が取れる態勢が必要」と話す。だが、県としてこの問題を検証する動きはない。(敬称略)
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