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9月30日にいわき市で行われた遺族・家族への説明会で配布した「双葉病院とドーヴィル双葉における福島第一原発事故からの避難の経緯」を公開します

双葉病院・ドーヴィル双葉に入院・入所されていた患者・入所者
及びそのご遺族・ご家族の皆様

      双葉病院とドーヴィル双葉における
    福島第一原発事故からの避難の経緯


                               平成24年9月30日
                               医療法人博文会 双葉病院
                               院     長 鈴木 市郎
                               医療法人博文会 ドーヴィル双葉
                               施  設  長 松野 泰彦
                               代理人弁護士 井上 清成 
                               同    山崎 祥光

第1 震災直後の双葉病院及びドーヴィル双葉の状況
 1 人的被害はなかったこと
   平成23年3月11日の東日本大震災後,双葉病院及びドーヴィル双葉いずれにおいても,患者・入所者・職員と建物に,地震による直接の被害はほとんどありませんでした。
   当時,双葉病院内には患者338名,ドーヴィル双葉内には入所者98名がおられました。
 2 インフラの被害について
   地震直後から,水道,電気は使用不能となり,固定電話,携帯電話についても地震後まもなく使用不能となりました。ガスについては,ガス漏れ防止のため,ガス会社が栓を閉めており,使えなくなっています。
水道は,双葉病院で院内の配管が破損し,2階以上の病棟で天井から漏水し,病棟の床が水浸しになるなどの被害が出ています。
   なお,当時の気温は浪江で最高気温5℃前後,最低気温マイナス2℃前後でしたので,暖房器具の使えなくなった院内では,相当気温が下がっていました。
 3 職員の対応状況
   職員の大半は病院に残り,患者・入所者に対するケアを継続しています。しかし,停電したために,夜間の患者状態確認はろうそくや懐中電灯を使用せざるをえない状態で,通常通りの観察は困難でした。また,同様に停電のため,輸液ポンプやモニターの使用やたん吸引の実施など,電気が必要な医療機器が使用できなくなっており,やはり通常の医療の提供が困難な部分がありました。たん吸引は,注射器に吸引チューブをつけて手動でおこなっています。
   とはいえ,通常であれば停電等のインフラ被害は早期に復旧すると考えられました。
   また,経管栄養や点滴を実施している患者・入所者については,物資不足が起きる可能性を想定し,必要な経管栄養・点滴量の範囲で,流量を抑えています。

第2 福島第一原発事故の発生と,避難指示
 1 避難指示地域が10kmとなったこと
   当初,原発で問題が起きていることは,病院・ドーヴィル双葉ではほとんど認識していませんでした。
   ところが,3月12日早朝5時44分,福島第一原発について避難指示の範囲が拡大し,10kmとなり,町内放送で全町民に対する避難指示が出たことがわかりました。
   なお,この避難指示は,大熊町に対しても,3月12日早朝の時点で突然なされたとのことです。大熊町では再三関係機関に確認してようやく避難指示の事実を確認しましたが,この際にも「念のため」の避難であると強調されたとのことです。
2 町役場への救助依頼と町役場での待機
  引き続いての避難放送で,各集会所に集まって避難するようにとの指示がありました。病院からは,集団行動の可能な患者を集めて,午前8時ころから,職員の先導で大熊町役場に移動して避難を待ちましたが,他の住民の方も多数集まっている状況で,すぐには避難が難しい状況であること,患者も寒い屋外で待ち続けるのは難しいことから,病院に戻って救助を待つことにしました。
  この際に,病院に戻って救助を待つことは双葉病院職員から大熊町長と大熊町職員に伝達しております。また,双葉病院に約340名の患者,ドーヴィル双葉に約100名の入所者がいること,寝たきりや車いすの患者・入所者が多数いることを双葉病院職員から町長と町職員に伝え,救助依頼をしています。
  また,自衛隊員が双葉病院とドーヴィル双葉を訪れたため,同様に双葉病院・ドーヴィル双葉の状況を伝え救出依頼をしています。この自衛隊は,ほろ付きトラックを救助に回せるとのことだったのですが,トラックに患者を乗せて移動させることは困難であるため,トラック以外の車両での救出をお願いしています。
  ドーヴィル双葉については,町職員が状況把握のため,3月12日朝の時点で訪問しており,町職員は「また来る」と告げて戻っています。
3 一部患者・職員のバスでの避難
  3月12日12時頃,双葉病院に大型観光バス5台が到着しました。このバスは,避難のために国土交通省が調達して町に提供したバスであるとのことです。
  病院では,観光バスで避難が可能な,自分で歩いて移動できる患者を選び,職員の引率のもと,当面の必要物資(薬剤,食料,おしめ等)とともに,避難を開始しました。この際,すぐに次の救助も来ると考えており,また避難自体もすぐに解消されると考えていましたので,職員の大半もバスに同乗し,また病院車両6台に分乗して同行しています。
この際に避難した患者は209名でした。避難先は,原発に近いところから順に埋まっている状況で,最終的には三春町の要田中学校の体育館を開放してもらい,全員を受け入れてもらい,一泊しています。この体育館では暖房器具もあり,電気も来ていました。
なお,この搬送バスはそのまま撤収してしまったので,田村市から観光バスを提供してもらい,翌日いわき開成病院に搬送しています。患者のうち2名は避難途中で,家族のもとに送り届けています。
4 再度の救助依頼と待機
  この避難の出発時(午後2時頃),病院職員は再度大熊町役場に立ち寄り,町長と町職員に双葉病院とドーヴィル双葉に患者・入所者・職員が残っていることを伝え,再度の救助依頼をしています。
5 町役場の全員避難
  大熊町では,福島第一原発に近い集会所から順にバスを回し,避難を行ったとのことです。
  双葉病院とドーヴィル双葉について,町役場では,カレンダーを裏返して張った紙にそれぞれの患者人数を記載して把握していました。
  ところが,バス5台と自衛隊車両が双葉病院に向かったことから,大熊町は,双葉病院とドーヴィル双葉の避難は完了したものと誤解していたようです。
  そして,3月12日午後2時30分頃の時点で,大熊町は病院も含めた住民がすべて避難完了したと考えて,最低限の人数(約10名)を残して町役場自体が避難したとのことです。
  しかし,午後3時36分,福島第一原発1号機で爆発(のちに水素爆発と判明)が生じたため,残っていた職員全員も原子炉の爆発による死の危険を感じ避難したとのことです。
  また,国土交通省から提供された観光バスは,その一部が住民搬送を終えてピストン輸送のために大熊町に戻ろうとしていたのですが,住民避難が完了したと考えていた町が会社に戻らせたとのことです。
6 他病院・施設の避難状況との比較
  福島第一原発から5km圏内には,双葉病院・ドーヴィル双葉のほかに双葉厚生病院と県立大野病院,サンライトおおくま,せんだんが存在しますが,大野病院は3月12日午前中に,厚生病院は3月13日朝までに避難を完了しており,他の施設でも12日中に救助が完了しているようです。
  双葉病院とドーヴィル双葉が5km圏内にありながら,最終的な救出が3月16日まで遅れた理由は不明です。

第3 福島第一原発での水素爆発の発生とその後の避難
 1 第一原発1号機の水素爆発発生
   前述のように,3月12日午後3時36分,福島第一原発が爆発しました。この爆発は,双葉病院・ドーヴィル双葉でも爆発音と地鳴りとして聞こえています。
   当時は,水素爆発であるとはわからず,町職員も含めて,原子炉自体の爆発ではないかと感じた人も多かったようです。
   ドーヴィル双葉では,この爆発を受け,施設長は避難するかどうかを職員らにゆだねたところ,施設長と職員1名を除き,職員は自主的に避難しました。
 2 3月12日の救助を求めての捜索
   双葉病院に残った鈴木院長は,院内に残っている患者の状態を確認し,点滴の調整などを行いました。
しかし,引き続いての救助が一向に来ないため,患者の救助を求めるため,院長は自動車で周辺を捜索しました。
この際,町全体がほとんど無人の状態で,大熊町役場も人気のない状態でした。
その後,ドーヴィル双葉職員も交代で救助を求めに外に出ましたが,双葉町の双葉厚生病院・せんだんで,入所者を救助する自衛隊を発見し,救助を依頼したところ,自衛隊は,担当部隊が違うとのことで,別の部隊を双葉病院・ドーヴィル双葉に向けるとの話でした。
 3 病院への自衛隊と県警察の訪問
   3月12日夜,自衛隊員1名と警察官1名が双葉病院に来院し,双葉病院・ドーヴィル双葉職員と打ち合わせを行いました。この際,12日中の救助は不可能であるが,13日朝に救助にくると約束しています。
   なお,3月12日の午後3時ころ,郡山駐屯地からオフサイトセンターに向けて自衛隊部隊が残留者救助のために派遣されましたが,福島第一原発水素爆発の情報を聞き,状況の確認と装備準備のため郡山に戻ったとのことです。
 4 再三の救助依頼にもかかわらず,救助が途絶えたこと
   3月13日も,病院・施設職員が救助を求めて周辺を捜索し,パトカーや消防車両に救助依頼するなどしていますが,いずれにせよ,3月12日以降は,3月14日早朝まで救助がありませんでした。
   この間,13日午後1時40分,福島県災害対策本部から自衛隊に対して,双葉病院とドーヴィル双葉の救出依頼がされているとのことです。その際,ドーヴィル双葉から約100名,双葉病院から患者約80名を相双福祉事務所まで避難支援してほしいとの依頼だったとのことです。
 5 福島県警察警察官の来院と待機
   3月13日,川内街道で院長がパトカーを発見し,救助依頼を行いました。後刻,双葉警察署から署長など幹部を含む警察官が来院し,以降病院職員らと行動を共にすることとなりました。
   来院した警察官は,病院職員からの再三の救助要請を受けて,無線で連絡を取り,救助の手配を試みましたが,最終的に13日の救助はできないとのことになってしまいました。
 6 職員の増員とケアの状況,患者死亡
3月13日,看護師1名と看護助手が夫とともに双葉病院にかけつけて,食事介助やおむつ交換等を行っています。
双葉病院とドーヴィル双葉では医師2名が手分けして回診を行い,患者・入所者の状態をチェックして適宜処置しています。点滴や経管栄養を行っている患者についても,適宜点滴や栄養剤の更新を行っています。
13日夜から14日朝にかけて,残念ながら3名の患者さんが永眠されました。それぞれの患者さんは,医師が看取ったうえで死亡診断書を作成しています。
また,14日朝には,双葉病院医師が1名病院にかけつけています。
7 3月14日自衛隊の来院と避難
  3月14日朝,自衛隊が観光バス3台,マイクロバス6台の計9台,隊員19名で双葉病院とドーヴィル双葉の救助に来ました。ドーヴィル双葉,双葉病院の順で救助が行われていますが,その順序で救助が行われた理由は不明です。
  ドーヴィル双葉は入所者全員98名が救助されました。ドーヴィル双葉職員は,その後も双葉病院からの避難の介助を行っています。
  双葉病院では,まず重症度の高い患者から搬送することが必要でしたので,院長が病棟内でトリアージを行い,重症度の高い患者を順に選び,警察官に引き渡し,警察官が屋外の自衛隊に引き渡してバスに乗車させるという方法で救助を行っています。
  バスは,満員になり次第順次発車しました。そして,最後の1台が発車したため,患者の救助は途中で打ち切りとなりました。
  バスが発車する際も,職員は屋内にいて,屋外のバスが発車していたことは知りませんでしたので,同乗を求めることもできませんでしたし,自衛隊から職員の同乗を求められることもありませんでした。なお,この部隊に医師・看護師はいなかったとのことです。
  自衛隊はスクリーニングを行う相双保健所と双葉病院との間でピストン輸送を行うよう指示を受けていたとのことですが,双葉病院職員には知らされていませんでした。
  また,この避難の際,ドーヴィル双葉では入所者カルテも準備しましたが,入所者が乗り切れない状況でもあり,カルテは一部しかバスに積み込まれませんでした。
  この避難では,ドーヴィル双葉入所者98名,双葉病院患者34名が避難しています。
 8 残された患者・職員の状況
   自衛隊は,小隊長1名を残し,全員が患者・入所者搬送に同行しました。残された病院・施設職員と県警察は,次の車両がきたらすぐに残された患者を搬送できるよう,準備をしていました。
   小隊長は,携帯無線機と携帯電話を使って相双保健所に向かった部隊と連絡を取ろうとしたのですが,当時通信状況が悪く,通信不通となっていたとのことです。
 9 第一原発3号機の水素爆発と小隊長の離院
   バスが戻るのを待っていた3月14日午前11時1分,福島第一原発3号機が水素爆発を起こしました。この爆発は双葉病院でも爆音と振動を感じています。
   この爆発を受けて,自衛隊の小隊長は病院を離れました。爆発があった際には指示を受けに行かなければならないとのことでした。小隊長は,ドーヴィル双葉職員の自家用車を借り受け,オフサイトセンターに向かいましたが,そのまま戻りませんでした。
   自衛隊によると,この小隊長は通信機器を借用して郡山駐屯地に状況報告をするためにオフサイトセンターを訪れたものの,建物内には入らず,入り口に伝言事項を張り紙したうえで郡山駐屯地に救助依頼に向かったとのことです。最終的に,小隊長は3月16日に救出に加わっていたようです。
 10 3月14日に避難した患者・入所者の状況
  (1) スクリーニングの指示
双葉病院及びドーヴィル双葉からの避難患者については,県からの指示で,相双保健所でのスクリーニングが行われました。相双保健所がスクリーニング場所となった理由は,双葉病院が相双保健所管轄であったからです。
  (2) ピストン輸送の予定
当初の予定では,スクリーニングの後,相双保健所において,患者・入所者を県が用意した別のバスに乗せ替え,自衛隊のバスは双葉病院にピストン輸送に戻すことになっていたそうです。
  (3) スクリーニングの実施と搬送方法の変更
相双保健所では,患者・入所者をバスに乗せた状態でスクリーニングしています。幸い,スクリーニングで問題のあった患者はいなかったとのことです。
患者・入所者の状態を確認した保健所長は,患者・入所者らの状態が悪く,乗せ替えを行うのは危険と判断し,自衛隊のバスのまま搬送先のいわき光洋高校まで向かわせることとしました。
なお,この際,県が準備したバスは,そのまま返したとのことです。また,相双保健所付近で4名の患者・入所者がバスを降り,付近の医療機関に入院していますが,だれがこの選別と判断を行ったのかは不明です。 
  (4) いわき光洋高校への搬送指示と指示変更
県障がい福祉課は,相双保健所でスクリーニングした患者・入所者につき搬送先として,いわき光洋高校を指定しました。しかし,いわき光洋高校が避難先とされたことを聞いたいわき開成病院職員が,寝たきりなど重症の多い双葉病院・ドーヴィル双葉の患者・入所者を学校体育館に受け入れることは生命の維持が困難なため不可能であると指摘し,再度避難先の調整を依頼したところ,県立医大等の受け入れ先を確保したとのことでした。
しかし,県から,移動中のバスの部隊と連絡が取れないとのことで,いわき開成病院職員に対し,いわき光洋高校から県立医大に向かうよう指示を伝えてほしいとの依頼を受けました。
このバスには,道案内として,相双保健所の職員が1名乗り込んでいました。
  (5) いわき光洋高校への到着と状況確認
結局,14日午前に双葉病院を出たバスがいわき光洋高校に到着したのは,夜8時頃であり,県立医大ではすでに時間が遅く受け入れが難しいとのことで,いったん光洋高校に患者・入所者を受け入れ,翌朝医療機関に転送することとなりました。
到着時,いわき開成病院への患者の避難に付き添っていた双葉病院職員らが状況を確認すると,残念ながら,バス内ですでに3名が死亡している状態であり,他の患者・入所者も相当危険な状態にありました。
いわき光洋高校では,体育館が受け入れスペースとなりました。残念ながら,さらに11名が翌15日朝までに永眠されました。双葉病院職員らは,体育館への移送,状態確認,処置等を行い,派遣されてきたDMAT(災害派遣医療チーム)に引き継いでいます。
なお,この14日夜,10時ころには,自衛隊の指示で全員屋内退避,壁側に立つようにとの指示が突然あり,緊迫した状況となりました。これは,東電から官邸への退避要請や,双葉病院での緊急避難指示と時間的に符合しています。
  (6) いわき光洋高校からの移送
いわき光洋高校からは,15日以降県が手配した各医療機関に再度移送しています。

第4 福島第一原発の危機的状況の発生と避難の完了
 1 警察官からの緊急避難指示
   双葉病院職員らと警察官は,小隊長が病院を離れた後,救助が来るのを待ち続けていましたが,救助は来ませんでした。
   ところが,14日夜10時頃,病院玄関前に待機していた副署長が,院内に踏み込み,突然緊急避難を宣言し,院長らに警察車両に乗るよう命じました。
   状況のわからない院長らは,その指示を受けて警察車両に乗り込んでいます。なぜ緊急避難となったのかは,院長らは説明を求めても教えてはもらえませんでした。
   警察車両は無人の街をサイレンを鳴らしながら緊急走行をし,福島第一原発から約20㎞の地点である川内村の割山峠まで退避しました。警察隊が退避場所として割山峠を選んだ理由は,ちょうど原発から約20kmの地点に当たり,状況に応じて退避することも,病院に戻ることもできる場所だったからです。
 2 緊急避難指示のいったん解除と病院への回帰
警察車両2台で,警察官全員と職員らが同乗しましたが,警察本部の指示で,今度は緊急避難指示が解除となりました。車両はそのまま一度双葉病院に向かいました。
 3 再度の緊急避難指示
   大熊町役場前を通った際,役場前にそれまであった自衛隊車両がすべてなくなっており,機材が打ち捨てられている状況でした。
   このため,双葉警察署幹部は,上司と無線で相談の上,再度避難することに方針を決めました。
 4 待機状況の県・自衛隊への連絡と,救助との合流予定
   再度割山峠で待機となった病院職員と警察官は,県警察を通じて,救助に入る予定の自衛隊に対し,待機場所を連絡し,院長らが救助に合流する旨を伝えています。
   自衛隊からは,県災害対策本部を通じて,県警に対し,双葉病院の救助に入る際,職員立ち合いが可能かどうか確認があり,院長らが立ち会う旨明確に伝えています。
 5 救助に入った自衛隊との行き違い
   しかし,残念ながら自衛隊は,院長らの待機する割山峠ではなく,別のルートを通って病院に向かってしまいました。
 6 川内村への移動と,避難完了の知らせ
   警察官と病院職員らは,割山峠で待機していたものの,予定された時間になってもまったく自衛隊が通らず,連絡も取れないことから,副署長は通信がより可能な双葉警察署の本部がある川内村役場に向かうこととしました。
   そこでも,連絡が取れず時間ばかりが経過しました。しばらくたって副署長から自衛隊が双葉病院に救出に入ったとの報告を受け、この救出は自衛隊に任せるよう言われました。救出が完了したものと考え、院長ら病院職員はいわき開成病院に向かいました。
 7 救助に入った自衛隊の状況
  (1) 早朝の救助
3月15日午前7時15分頃,郡山駐屯地を東北方面からの部隊が出発し,午前9時頃双葉病院に到着して救助を開始したとのことです。この際,病院職員がいないことから,自衛隊から県災害対策本部を介して,救助を行っていいものかどうか確認を行ったとのことです。
この自衛隊部隊には,医官,看護師等が含まれていましたが,47名の患者を救出の上,午前11時頃線量限界のため病院を離れています。
  (2) 次の救助
午前8時30分頃,郡山駐屯地を別の部隊が出発し,午前11時30分頃双葉病院に到着しました。この部隊は先発した東北方面からの部隊とは情報交換できておらず,残された患者の一部である7名のみしか救出できませんでした。この際,現場で案内指示を受けることができなかったため,西病棟にいる患者を認識できなかったようです。
  (3) 最終救助
最後に,双葉病院に残留患者がいるかもしれないという情報を受け,3月16日午前0時35分に,双葉病院に自衛隊の再度の救出が入りました。この救出で,最後に残された35名が救出されました。
 8 3月15日から16日に避難した患者・入所者の状況
   この避難でも,各医療機関に搬送が行われましたが,その途中のふれあいセンターやあづま総合運動公園,霞ヶ城公園で,計7名の死亡が確認されています。
   その後の受け入れ先については,県障がい福祉課が確保をしています。

第5 避難後の病院・施設の対応
 1 患者・入所者の安否確認,搬送先確保及び確認
  (1) 3月12日に避難した患者について
3月12日に避難した患者については,家族に直接合流できた2名を除く207名は,まず三春町の要田中学校に一泊し,翌日いわき開成病院に避難しています。しかし,いわき開成病院の規模はそれほど大きくないこと,またいわき開成病院自体にももともと多くの患者が入院していたことから,長期間いわき開成病院でこれら207名の患者を預ることは不可能でした。
このため,関連ある医療機関に依頼し転院を行っています。
  (2) 3月14日に避難した患者・入所者について
3月14日の避難の際には,前述のように病院・施設職員が付き添うことができませんでした。また,いわき開成病院も,3月12日に避難した207名を受け入れるのが限界で,これ以上の受け入れは不可能な状況でした。
このため,3月14日に避難した患者・入所者については,受入先の確保は県障がい福祉課が行っています。
そして,双葉病院・ドーヴィル双葉からの避難が完了した後,県や他の医療機関と連絡を取り合い,双葉病院・ドーヴィル双葉の患者・入所者の安否確認と,搬送先の確認を行っています。平成23年4月中には,安否と避難先の確認がほぼ完了しております。
搬送先が確認できた患者・入所者については,ご家族の所在を探して,家族に連絡をしておりました。とはいえ,ご家族自身も別の地域に避難されているケースも多く,ご家族へのご連絡にも時間がかかったケースがありました。
  (3) 3月15日から16日に避難した患者・入所者について
3月15日及び16日に避難した患者・入所者については,前述のように職員は割山峠で待機していたにもかかわらず,連絡の行き違いからか自衛隊と合流できなかったため,自衛隊単独での救出となりました。
このため,搬送と受け入れ先確保に関しては,県障がい福祉課が中心となって実施しております。
避難が完了した後,14日に避難した患者・入所者と同様に,県や他の医療機関と連絡を取り合い,双葉病院・ドーヴィル双葉の患者・入所者の安否確認と,搬送先の確認を行っています。平成23年4月中には,安否と避難先の確認がほぼ完了しております。
搬送先が確認できた患者・入所者については,ご家族の所在を探して,家族に連絡しました。
2 院内で亡くなられた患者さんへの対応
  前述しましたように,院内で亡くなられた患者さんについては,3月14日の救出の際,ご遺体の搬出は警察の仕事であるため,警察官に搬出をお願いしています。なお,自衛隊小隊長と警察隊も死亡は確認しています。
  このため,後日警察官が搬出に来た際に,ご遺体がどなたであるか分かるよう,3月14日の時点で,職員が名前を書いた紙をご遺体に残しております。
  それ以降も,双葉病院職員から,福島県災害対策本部に対して,再三ご遺体の搬出を依頼しました。当時,病院単独で立ち入ることは不可能であったため,福島県災害対策本部に依頼を続けるほかありませんでした。
最終的に,福島県警察から平成23年4月3日に連絡があり,平成23年4月6日になって双葉病院への立ち入りと,ご遺体の搬出を行うことができました。ご遺体搬出を行ったのは福島県警察ですが,双葉病院の職員もご遺体の本人確認と病院の状況確認のために同行しております。
最終的に4名の方が院内で死亡しておられることを確認し,氏名の確認も行いました。残念ながら,1名の患者が行方不明となっております。

第6 避難直後に死亡された患者さん・入所者さんの死亡原因
 1 3月14日に避難した患者さん・入所者さんについて
  (1) 気温等の環境悪化の継続
前述のように,3月11日の地震により,病院及び施設では,停電に見舞われ,暖房器具等も使用不能となりました。このため,当時の外気温は福島県浪江において最高気温5℃前後,最低気温マイナス2℃前後とまだ非常に寒い状況で,病院・施設内の気温も,相当低くなっていました。
かつ,停電が復旧せず,固定電話・携帯電話を含む連絡手段が途絶された状況で,原発事故が発生したため,救助や補給を受けることが困難となってしまいました。
このような状況が継続したことは,高齢の患者さん・入所者さんに大きなダメージを与えたといえます。
  (2) 医療機器の使用不能
   前記のように停電のため,たん吸引やモニター,輸液ポンプなどの医療機器を使用することができない状況にあり,特に夜間は照明がないため,患者さん・入所者さんの観察も十分できない状況でした。
そして,原発事故が発生したため,これらの状況を回復することができず,適切な医療機器を用いたケアが提供できない状態が続くことで,高齢の患者さん・入所者さんに少なくないダメージを与えたといえます。
  (3) 搬送の負担
原発事故により,原発から5km圏内の双葉病院の患者さん・ドーヴィル双葉の入所者さんは,230kmもの長距離を避難しなければならなくなりました。
不十分な輸送手段で,長距離長時間搬送を行うことは,高齢の患者さん・入所者さんに非常に大きなダメージを与えたということがいえます。
   
 2 3月15日及び16日に避難した患者さんについて
 (1) 気温等の環境悪化の継続
前述のように,3月11日の地震により,病院では,停電に見舞われ,暖房器具等も使用不能となりました。このため,当時の外気温は福島県浪江において最高気温5℃前後,最低気温マイナス2℃前後とまだ非常に寒い状況で,病院内の気温も,相当低くなっていました。
かつ,停電が復旧せず,固定電話・携帯電話を含む連絡手段が途絶された状況で,原発事故が発生したため,救助や補給を受けることが困難となってしまいました。
このような状況が継続したことは,高齢の患者さんに大きなダメージを与えたといえます。
  (2) 医療機器の使用不能
前記のように停電のため,たん吸引やモニター,輸液ポンプなどの医療機器を使用することができない状況にあり,特に夜間は照明がないため,患者さんの観察も十分できない状況でした。
そして,原発事故が発生したため,これらの状況を回復することができず,適切な医療機器を用いたケアが提供できない状態が続くことで,高齢の患者さんに少なくないダメージを与えたといえます。
  (3) 搬送の負担
原発事故により,原発から5km圏内の双葉病院の患者さんは,長距離を避難しなければならなくなりました。
不十分な輸送手段で,長距離長時間搬送を行うことは,高齢の患者さんに非常に大きなダメージを与えたということがいえます。

 3 院内で死亡された患者さんについて
 (1) 気温等の環境悪化の継続
前述のように,3月11日の地震により,病院では,停電に見舞われ,暖房器具等も使用不能となりました。このため,当時の外気温は福島県浪江において最高気温5℃前後,最低気温マイナス2℃前後とまだ非常に寒い状況で,病院内の気温も,相当低くなっていました。
かつ,停電が復旧せず,固定電話・携帯電話を含む連絡手段が途絶された状況で,原発事故が発生したため,救助や補給を受けることが困難となってしまいました。
このような状況が継続したことは,亡くなった高齢の患者さんの中には大きなダメージを与えた方があったといえます。
  (2) 医療機器の使用不能
前記のように停電のため,たん吸引やモニター,輸液ポンプなどの医療機器を使用することができない状況にあり,特に夜間は照明がないため,患者さんの観察も十分できない状況でした。
そして,原発事故が発生したため,これらの状況を回復することができず,適切な医療機器を用いたケアが提供できない状態が続くことで,亡くなった高齢の患者さんの中には少なくないダメージを与えた方があったといえます。
 4 まとめ(原発事故損害賠償の要件充足)
   以上から,福島第一原発から5㎞圏内に存在する双葉病院・ドーヴィル双葉の患者・入所者は,原発事故のために,20㎞以上の避難を余儀なくされ,また避難指示のために,インフラの補給や修理,救助が困難な状況におかれたということができます。
   一般論として,これらのダメージがなければ,患者・入所者は亡くならずに済んだということができます。実際には個別のケースそれぞれにつき,原疾患の重症度などをチェックしなければなりませんが,原発事故と個々の患者さんの死亡の間には因果関係があるものと考えています。
   すなわち,これらの方々の死亡は,一般論として原発事故と因果関係があり,原発事故損害賠償の要件を充たすと考えております。

第7 県による誤報と謝罪
   福島県は,平成23年3月17日に,「3月14日から16日にかけて施設には重篤な患者だけが残された」などと記者発表を行っていますが,これは全く事実と異なるものでした。この発表により,各メディアがそのままこの内容を報道するという事態になり,皆様には大変ご不快な思いをさせたかと思います。
しかし,実際には双葉病院にもドーヴィル双葉にも職員が残り,3月14日深夜に緊急避難した際も,自衛隊と合流して救助に戻れるよう,付近で待機していました。
   福島県も,ようやく,この発表が誤りであったことを認めて福島県医師会宛文書において明瞭に謝罪しております。東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(いわゆる政府事故調)の報告書におきましても,県の発表は誤りであったことが明らかにされています。
   あらためて,県の発表が誤りであったことを皆様にお伝えします。

以上
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